強制収容所関連情報
【中国当局が北朝鮮の強制収容所の存在を確認】
2008年5月11日の東京新聞朝刊は、中国国務院(内閣に相当)傘下の情報機関「国家安全省」が2000年6月に発行した極秘の報告書『延辺地区、中朝辺境情況簡介』の存在を報じた。注目すべきは、「農場」と呼ばれる政治犯収容所が全国に十数か所あり、政治犯とその家族役30万人が収容中と分析しているという指摘である。 北朝鮮当局は、今日に至るまで、政治犯収容所の存在を否定している。それを隣国の社会主義国中国が「絶密資料」という極秘文書とはいえ、国家機関の報告書の中でその存在を認めていることである。
最近日本人研究者が中国で入手したものと言うが,約270頁に及ぶもので、朝鮮人民軍や中朝国境の人員配置、関係部署の直通電話番号の記載、中国国内での北朝鮮工作員組織(韓国情報収集のための)「312号室」(1992年に新設)、軍傘下の「警備隊」(1995年創設)のことなども記されていると言う。
北朝鮮収容所の廃絶を願うものにとっては、上記収容所に関する記述が、一番に注目される。収容所の数が十数か所と言う指摘が、以前12ヶ所と『北朝鮮の人権』(ミネソタ弁護士会、アジアウォッチ共編、1988年)で指摘されたものに該当するのか、それとも今回の報告書の調査時点(1999年~2000年)のものであるか、近年5・6ヶ所と言う見解に立つ韓国の北韓政治犯収容所解体運動本部(金泰振代表)の吟味と論評を待ちたい。
北朝鮮の友好国中国が北朝鮮の山の中の強制収容所の存在を認定していることの意義は,測り知れない。詳しくは5月11日の東京新聞の記事を見られたい。秘密報告書の写真も掲載されている。
【日本人や在日朝鮮人たちと強制収容所の状況証言】
幼い頃両親と共に帰国事業で北朝鮮に渡り、37年間北朝鮮での生活後脱北。2005年に日本に帰国された千葉優美子さんが、収容所の解体と生存者の救出を希求すると共に、「帰国事業で北朝鮮に渡った日本人や在日朝鮮人たちが強制収容所に収監されていた」という状況証言をされておられます。
千葉さんは4月13日の発会式に大阪から参加され、即日入会されました。
NO FENCEの皆様
私は大阪で暮らしている脱北者千葉優美子と申します。以下の一文から私の心を読んで下さったら、ありがたいです。
私は日本でNO FENCEが発足したことを、熱烈に祝します。そして、心から感謝いたします。ありがとうございます。発足会に韓国脱北者たちも来られ、証言されたので、北朝鮮収容所の現実が、今少し、よく理解されたのではないかと思います。
私は北朝鮮で暮らしながら、日本で生まれた私がどうして北朝鮮に来て、このような苦労をしなければならないのか、嘆きつつ流した涙は、川ほどになります。今晩は無事か、明日は無事であるか? いつ、どの瞬間に、収容所に引っ張られるかわからず、びくびくと送った日々を忘れることができません。
日本にある朝鮮総連という団体のペテンで、いわゆる“帰国”という名で北朝鮮に行った9万3千人以上の人たちの多くが、北朝鮮政治犯収容所へ引っ張られた方法は、「49号病院」から始まりました。
帰国船という「万景峰号」という船から降りずに、再び日本に送ってほしいという人々を見て、精神的異常が生じた人々であると、病院に行って治療を受けなければならないと、強制的に船から降ろさせた後(北朝鮮では精神異常者の治療病院を49号病院という)、49号病院に連れて行ったということは、鉄窓の中に閉じ込め、どのようにしたのか言葉もできないようになり、自分の身体の中心を取ることもできないように(注:話をすることができないような状態になり、自分の体を維持して立っていることも難しく、動物のような四つんばい状態に)させてしまいました。ですから、北朝鮮最初の帰国者収容所は49号病院という名だけを借りた「人間動物園」でした。
しかし、そのような人々が増えていくや、1969年からは、それまで北朝鮮本土国民だけ収容させていた政治犯収容所の中に、49号病院の中で生き残っていた人間動物たちを、まず切り離して収容することを開始し、言葉もできないように作り上げ、中心を維持することすら出来ないようにさせていたことを中止し、収容所の中で労働奴隷に作り上げました。このように始まった日本人、在日朝鮮人たちが、北朝鮮本土人たちのいた政治犯収容所の一角に、新しい「部落」を作ってみると(本土人たちとの接触は、収容所の中でも禁止した)、労働力が不足するので、社会に背いた人々を1970年代10年間だけでも(当初帰った帰国者の)45%程度(注)政治犯収容所帰国者部落に引っ立てて収容しました。
引っ張られた理由は:日本を恋しがったこと、日本の歌を一度歌った、日本語を話した、家で日本語を書いた、・・・・手当たり次第に、日本から持ってきた財産を没収し、政治犯収容所へ収容しました。本人だけではなく、(本人は大抵保衛部監房で殺す)、兄弟、親戚たちまで、収容所に引っ張りました。
その中には日本人たちもいました。本当に何の罪もない人々が、収容所に引っ張られ、 どれだけ多くの人が死んだかわかりません。このように日本にある朝鮮総連という団体は、地上楽園に行こうとだまし、生き地獄に送ったのです。このような悪魔のような団体がなかったら、彼らが人々をだますことがなかったら、北朝鮮の政治犯収容所という恐ろしい所にまで行って死ぬことはなかったのです。ところでそのような朝鮮総連が21世紀である今でも日本に存在していることは理解できず、私は死んでも許すことはできません。私はこのような現実を日本の国民たちと世界が知らなければならないと考えます。
今こそ現実をより具体的に知らせ、必ず(収容所を)解体させなければならず、生きている生存者たちは必ず助け出し、歴史の証言者として、二度とこのようなことがないようにしなければならないでしょう。
私は今回発足したNO FENCEが、北朝鮮収容所にいる日本人、在日朝鮮人たちを必ず救い出して下さるであろうことを、固く信じたいです。否、固く信じます。万一、NO FENCEの集会で、37年間北朝鮮で生きた私の証言が必要でしたら、いつでも呼んで下さい。そして会員として私が出来ることを教えて下さい。何でもいたします。そして1人でも多く生きて日本に帰ってこられるよう、私の小さな力ですが、みな捧げ、最善を尽くします。助けてください。
NO FENCEの今後の成果を願っています。
2008年4月15日 千葉 優美子
(注)45%の根拠
「北朝鮮に日本から渡った人々のうち政治犯収容所に行った人が40%だという話は、私が大学生のときの1979年だったと思います。その時(1979年12月)「歌舞団」という劇場で、「帰国実現20周年行事」がありました。この行事で道党幹部が報告をしたのですが、その報告の最後に帰国者たちの課業という言葉を使いながら、道党執行委員会の発表によれば、今帰国者たちの40%程度が革命化をしなければならぬようになったと言いつつ、これは帰国者たちがいまだに安逸で気の緩んだ生活から抜け出せないでいるからだと言い、自分たちを徹底的に鍛錬して、これ以上革命化区域へ行かないようにしなければならぬと言いました。即ち、この指摘は北朝鮮で革命化区域という政治犯収容所に今帰国者たちの40%が入っているという話であります。
その日の夜、家に戻った父は、家族たちの前で、言葉一言、行い一つ、慎重にしなさいと言い、そのような所に行ったら二度と生きて戻れないから、くれぐれも言わざる、見ざる、聞かざるで生きよう、そう言った父の言葉を、今も私は忘れることができません。しかしその後の1980年代にも、私たちの周囲にいた帰国者たちが、一晩立つと家族全部がいなくなっていることがありましたので、直接聞いた40%に5%を足して、その程度ではないかと考えたのです。」
〈千葉優美子さんのプロフィール〉
1963年3歳で両親と北朝鮮に渡る。父は朝鮮総連の幹部であった。37年間北朝鮮で生活後脱北し、中国で数年間過ごした後、2005年に日本に帰国。






